コリンズ歴史

 

 

 

 

 

 

余談ですがメモリ不足になり固定ページの編集ができなくなりましたので、ダッシュボードにアクセスできるようにリンクを残しておきます。さて、私はCollinsに憧れて高価な機器を購入しましたが今では飾りのようになっていますがそのCollins機器開発したのはCQ誌によると以下のように書いてありました。Rockwell Collins Museum にもアクセスしてください。http://rockwellcollinsmuseum.org/index.php

アーサー・コリンズArthur A.Collins(写真 )

コリンズアーサーコリンズ

家の地下室で始まったアマチュア無線のビジネスは,コリンズ氏が 23 歳のときの 1933 年 9 月 9 日,米国アイオワ州シーダーラピッズ 1 番街 2920 番地のオフィスビルに本拠地を移し,Collins Radio Inc.として設立し登記されました.1933 年の暮れの時点での社員数は,コリンズ氏と速記者兼秘書を含め総勢で 8 名でした.当時,コリンズ社の主力製品は,4A 型の 20W クリスタル・コントロール方式のアマチュア用送信機(写真)

コリンズ 4Model

と,同じくアマチュア用の 45A 型(A3/40W,CW/125W)の送信機,そして,その後に数年間継続して生産された 300A 型の 200W 短波放送用送信機,および 300E/F 型の 100W と 200W 放送用送信機の 4 モデルでした.1933 年,会社にとって大きな変革が起きました.それは,米国の南極探検隊が使用する無線機のうち,受信機を除いたすべてを一括して受注したのです.それまでは,国内よりもむしろ海外向がコリンズ社製品のユーザでした.コリンズ氏は 14 歳のときに,“9CXX”のコールサインで開局しました

コリンズ CallSign

.そして,コリンズ氏は 1925 年,米国海軍でさえ困難であったマクミランによるグリーンランド探検隊との無線通信を成功させ,そのビッグ・ニュースが当時の新聞紙面を飾り,その名を一朝にして多くの国民に知らしめた実績がものをいいました.第二次世界大戦で爆発的な成長を遂げるその後,政府機関からの受注も増加し,コリンズ社は順調に成長しました.1939 年には売上高が約 US50万ドル,従業員数は 150 名となり,1941 年には売上高が約 US220 万ドル,従業員数は 485 名となりました.そして,この年の 12 月に勃発した第二次世界大戦に合わせて,コリンズ社は爆発的な成長を遂げました.最初の契機は,米軍が使用する第二次世界大戦中のメイン通信システムとなった TCS システム

コリンズ氏は,熱心な航空機器の研究者で,早い時 期から航空機のための,航空機と地上間の機器開発研 究を始めていました.現在も使用されているオート・ チューンの基本的な考えを持ったのは,この仕事をし ているときでした.最悪の条件の中,高い精度で同調 する機能は,通信産業の中での卓越したキー・テクノ ロジでした.